ネットで見て来店するお客さんの中で、「いつもご飯を食べる時や、飲みに行く時は、ネットで調べて行きます。」 という人が居ます。別に悪いことでは無いのですが、聞くとその度に新しいお店なのです。「馴染みのお店は無いの?」 「そういうのはちょっと。。。」 つまり、いつも 「一見」 なのです。『○○が美味しい話題のお店』 や、『小洒落た内装のお店』 立地条件と価格だけで探して、チェーン店。。。なんてパターンも多いようです。しかし、そんなお店での対応は、やはり 「通り一遍等」 な扱いです。毎回違うお店だと、その都度、新しいお客さん。。。特別な接待や手厚い接客はしてくれる筈もありません。そして、「今日はまあまあ良かったよねぇ。次ぎはどこに行く?」 というカンジです。これではいつまで経っても 「常連」 にはなりません。だからそこには、心の交流が無いのです。そうした人たちが案外多いのが現状のようで、そういう彼らには、そのお酒や料理の味よりも、更にもっと豊かな充足感を味わえるチャンスを逃していると言えます。少し可哀想に思えます。。。あなたの 「馴染みのお店」 を何軒か作りましょう。きっと大切にしてもらえると思いますよ。(^ ^)
臨時収入がありました。ここ最近、しんどい出来事が多かったのですが、それが報われたようです。やはり 「正負の法則」 効果です。真面目にコツコツと頑張っているのに、辛いことが多い。。。そこで、自棄を起こさないで欲しいのです。必ず、逆転の出来事があるからです。これは、「宇宙の法則」 なのです。イヤなことがあれば、その分だけ良い事も訪れます。この宇宙においての摂理として、バランスを取ろうとし、調整されるのです。これは、絶対的なものです。労せずに得た収入は、やがて泡のように消えてなくなります。宇宙は過分なものは切り落とすのです。故に、常に努力を怠らず、目標をもって生きることが大切なのです。そうすることで、宇宙の恩恵を受けることができるのです。あっ、しかし、一度イヤな事があったから、次ぎに良い事が必ず起きる、とは限りませんよ。「替わりばんこ」 にそれがやってくるわけではありません。それは、3回連続でイヤな出来事のあとにあるかもしれません。しかし、必ずや長い目で見たときには、均衡を保っているのです。
よく事件などを犯して、「どういう人物だったのですか?」 とレポーターがその犯人のついて近所の人達などにインタビューをし、「いえ、そんな事件を犯すような人には見えなかったです。」 などと答える姿が見られます。しかし、こんな質問自体が、『愚問』 と言えます。人間は誰れしも、表の顔と裏の顔を持ち合わせています。「良い人そう。。。」 こんな漠然とした感覚でその人を認識することが、そもそも軽率なのです。あの、嘗て日本の裏社会のドンと言われたモーターボート協会の会長、「笹川氏」 も、『恵まれない子供達に。。。』 と福祉事業を展開していました。人間の心の中の、光の部分、そして闇の部分、これがやはり振り子のように動くのです。そんな通り一遍等な、「良い人」 なんて世の中には略々存在し得ないものです。これは私の人生の経験上、「何時もとてもニコヤカで、穏やかな顔付きでソフトな語り口」 な人ほど、腹に一物持っている一癖ある人物が多いようです。『人は見かけにはよらない。』 ということですね。(^ ^)
何の利害関係も無いのに、いつも親切にしてくれる。。。あなたの周りにこういう人居ませんか?こういう相手は大事にして下さい。この人、前世であなたが親切に何かをしてあげた 「お礼」 を今世でしてくれているのです。魂はまた生まれ変わります。輪廻転生です。今世で、あなたはまた別の人に親切にしてあげましょう。それが次世で、繰り返すこととなります。しかし、憎しみや、恨みもまた同じです。それは、今世で断ち切り、終わりにするのです。そうしないと、この輪廻は延々と続く事となるからです。思い切って気持ちに区切りを着け、新たな1ページを刻むのです。そうすることで、また一つ 「負」 の遺産を浄化することが出来るのです。「忘れる」 「水に流す」 これは日本人が持っている最高に高尚な思想の一つです。焦る必要はありません。ひとつづつ、少しづつでも、一歩一歩前に進んでいけば良いのです。。。(^ ^)
うちのお店に入っている業者で、お酒を配達してくれるところがあります。その彼の歳は20歳前後、小柄で明るく、挨拶もキチンと出来る感じの良い青年なのですが、配達してきた時にどうしても気になることが一つありました。それは秋から冬にかけて、ずっとニット帽をかぶっていたのです。お店の中に入ってきたときに、『あれっ?』 と思ったのですが、その時には傍にお客さんも居たので、ついついそのままになっていました。先日、開店して直ぐに配達してもらった時に、その彼がまた持ってきてくれたので、「もしかして、冬場ずっと帽子かぶってた彼よねぇ?」 「あ、そうです。」 「あのね、帽子が好きで会社が認めてくれているなら、それで良いけど、基本的にお店に入る時には帽子は脱がなくちゃダメよ。それが一般常識よ。」 「あっ、はい、分かりました。」 「よそのお店で言われたことは無い?」 「はい。」 今は、誰れも耳痛いことは言わなくなったみたいです。しかし、彼は若い青年で、物事もまだ分かっていないこともあります。それを誰れかが教えてあげないと、間違った常識を持って歳を重ねていってしまうのです。最近は特に、「嫌われたくない」 「よくない事だけど、そういう空気じゃないから」 などと事勿れ主義の人間が増えて来ています。物事の善悪、言うべきことは、例えその相手から嫌われようが言わなければいけません。私はこれからも、『ホンマ、あのグリッターのママ、うるさいわ~。』 そう思われようが、どんどんと指摘していきたいと思っています。北新地町内の煩型、としてこのご時世故、若い世代にどんどん指導していくつもりです。(^ ^) 帰り際、その彼は、「ありがとうございますっ。」 一礼してお店を出て行きました。
「レナママ、この子、視てあげてくれるぅ?」 昔から知っている某有名飲食店のマネージャーをしているお客さんが、部下を何人か連れてきてくれた。「じゃあ、さっそく姓名判断をしますね。」 その部下は20歳そこそこの女の子だったのですが、顔を見た瞬間に、『この子、ちゃんと聞く気があるのかしら。。。』 オーラも微妙なカンジで、名前を視る前から何か引っ掛かるものがあったのです。いつものように話を進めて行って、彼女の様子を見ると、やはり少し妙な雰囲気。一言で言うと、『心ここに在らず。』 という感じなのです。そして、何より名前が案の定かなり悪い。彼女の性格的なもの、物事の考え方が極端に歪んでいるのでした。それでも一通りアドバイスをして、占いは終え、最後にそのマネージャーが仕事に対する心構えのようなものを、20分ぐらい少しお説教も交えながら話をしていました。『挨拶』 がちゃんと出来ていない、という内容のもので、私も若い世代に分かってもらいたかったので、その話に参加することにしました。「マネージャーが言っているのは、本当に至極当たり前のことなのよ。例えば、隣近所のお店の人に対しても、『おつかれさまです。』 この挨拶が出来るだけで、本当に爽やかで、あなたの働いているお店の印象も変わってくるのよ。挨拶はとても大事なことよ。」 そう言って、姓名判断をした彼女を見てみると。。。どこか頭に入っていないよう。。。??? マネージャーが、「さあっ、それじゃ帰ろか。」 腰を上げてお店を出て行った時、「あれっ!?」 あの彼女の座っていたシートがびっしょり濡れているのです。1階まで送っていって、「あなた、何かこぼした?」 「いえ。。。」 「カバンの中の物が出たとか?」 手を探りながら、首を横に振った。『えっ???』 お店に戻って、もう一度確認したら。。。それはオシッコだったのです。途方にくれながら、しかし、直ぐに処理しないといけません。消臭効果の強力なハイターを何回もかけて、水洗いをし、天日干しを繰り返し、ようやく汚れも匂いも取り除くことができました。何年か前にも、上司の人がメインのお客さんで、部下を連れて来て姓名判断して、それで嫌がらせをされたことがありました。アドバイスで言った事を逆恨みするのです。やはり問題のある名前でした。こういうタイプの人間は一見、おとなしそうに見えるのですが、内面にかなりの反抗心と、物事を歪曲して受け取る屈折した人格を持ち合わせています。それが顕著に名前に現れているのです。そこに居合わせた別の医療機関に勤めるお客さんは、「ある種の病気で、自分でも気が付いてないと思う。」 と言っていましたが、私の直感では、半々。精神疾患の疑いもありますが、半ば判っていながらした行動だと認識しています。彼女、性格的に大いに問題があるようです。もちろん私は直ぐさま、そのマネージャーに、「彼女とは関わらない方が良いよ。出来れば全く別の理由を付けて解雇することを勧めるわ。」 と忠告したのは言うまでもありません。
占いを希望してやって来る人達に、まずは姓名判断で、「運命」 と 「宿命」 の話をしています。宿命は、生まれもったもの。例えば、その家に生まれてきたこと。そして日本人であること。運命は、あなたがその名前を名付けられたこと。しかし、これは自分自身の努力で、いろんな方向に変えられます。話をしていて、いつも感じることが、「感謝の気持ち」 を持って生きている人が少ない。。。ということです。不平不満ばかりを言います。「私はこんなにガンバってるのに。。。」 会社に対して、パートナーに対して、自分の気持ちを全く分かってくれない。。。こんな調子です。相手への要求ばかりなのです。それでは物事はうまく行く筈もありません。まずは、自己反省。そして相手に対しての労いの心と、態度です。私達は一人で生きているわけでは無いのです。周りの人に対しての感謝の気持ち、そして、仕事があること。健康である事。(多少の持病は皆持っています。) 雨風を凌げる家があること。この4つです。運命は変えられるものです。あなたも、その心構えを持って日々送って下さいね。いつも不満を口にして、そんなに愚痴ばかりこぼしていると、更に悪い事が降り掛かってきますよ。。。
ここ数年前から、非常に心配なニュースがあります。「自動運転システム」 についてです。日本のトヨタも、ついに本格的に乗り出したのですが、この 「自動運転システム」 、ハンディキャップの人たちに対しては非常に画期的なシステムだと思うのですが、健常者にとっては 「必要ある?」 というのが率直な意見です。この現代、いかなる物も高度な機械化が進み、私達は日々、そのアイテムに依って助けられてきました。しかし、あまりにこの機械達に頼り過ぎではないでしょうか?全てコンピューターに依って制御され、自動に運転できる。。。私達は、思考、体力共に退化の一途を辿っていくとしか言えません。そして、このシステムに依存しすぎたが為に、必ずやとてつもない大事故に繋がるであろうということを、予言します。
今、巷で大流行の 「ポケモン GO」 、これに関する事故がついに日本でも起こってしまいました。徳島で、トラックの運転手が「ポケモン GO」を運転しながらしていたところ、歩行者に気が付かずに轢いてしまったのです。ここからが驚くところなのですが、この運転手、39歳というから少しその感覚を疑ってしまいます。この 『モンスターを捕まえていく』 だけの単純なゲームに、40も近い中年の男性が夢中になっていることが、もはや日本人の、いや、この現代の地球上の人間の幼児化を非常に危惧します。こんな幼稚なゲームは、元来、小学生か遅くても中学生ぐらいまでに堪能して卒業するべきものです。それが、大の大人が。。。???真夜中の公園や、城跡、そこに異様な数の人たちがスマホ片手に下を向きながら集まって、そして突然、一斉に皆んな走り出したりしているのです。異常事態という他ありません。もっと他にやるべき事、熱中することを探すべきです。この世界総幼児化、はっきりと、「けしからん!」 と声を上げる人が居ないのも、また不思議なものです。
リオオリンピックが閉幕しました。今回は日本勢の活躍も目覚ましいものがありました。皆さんは、オリンピックを見て、何を感じられましたか?まさか、「感動をありがとう。」 「勇気をもらいました。」 などと、使い古された安っぽい言葉で締めくくろうとしていないでしょうね?メダルを獲る為に、最低でも4年間努力し続け、毎日をその目的の為に生活する。。。その姿勢を学んで欲しいのです。とにかく、姓名判断を希望してくる人に、「別に何の目標も無くて。。。」 そういう人が多過ぎます。人生に目標を持って生活し、そして精進していく。。。そうあり続けてください。
今年の周年は、イレギュラーなハプニングが続出で、大変な12周年でした。その中でも、名刺屋さんに頼んだ案内状のプリントミスが、致命的でした。何と、お店の住所が移転前の住所になっていて、それが、投函する寸前に発見されて、そこから全部手書きで修正していく。。。というとんでもない事態になってしまったのです。どうやら周年初日には間に合わなかった所も多かったみたいで、「ママ、もう夏休み取ってたわ。」 「お盆明けになるわ。」 など、皆んあ日がバラバラになって、史上最悪の周年となってしまいましたっ☆(>o<;)/~~~ しかし、そんな状況でも、嬉しいハプニングもあって、5年振りに来店してくれたお客さんも居たりもしました。12年営っていると、こういう久し振りのお客さんとの再会が、何と言っても醍醐味です。さあ、また明日からガンバるよ~っ♪(^o^)/
大病をするというのは、『自分を見つめ直しなさい』 という示唆です。この前も書いたことですが、1ヶ月以上入院を余儀なくされる病気に関しては、特にそうです。その中でも、病気の種類や症状に因っては意味合いがそれぞれ異なってきます。大事故で足や身体が思うように動かなくなる。。。というのは、『他人(ひと)の痛みを分かりなさい。』 ということです。視力が低下し、失明に及ぶものは、『目に見えないものを感じ取りなさい。』 ということです。云わゆるところの、『「第三の眼」 を養いなさい』 という意味です。最愛の人(パートナーなど)を亡くした人は、『そこから自分に足りないものを知りなさい。』 つまり、他人の痛みはもちろんのこと、人に対する情感をもっと持ちなさい、という啓示なのです。やはり、いづれも、極端なマテリアリズムであったりリアリストな人物に与えられた試練が多いようです。「不幸だ。。。」 と思われることにも、そこに必ず大きな生きる上での学びがあるということを、憶えておきましょう。
再びリオオリンピックの話題を。いよいよ私の大好きな陸上競技がスタートしました。今年は100M日本男子、ちょっと期待していたのですが、やはり世界の層は厚く、準決勝で全員姿を消してしまいました。競技直後のインタビューで山縣選手が、「決勝に残ることは出来なかったのですが、自己新も出せたのでまあ良かったかな。。。と思います。」 と言っていたのがとても気になりました。オリンピックなので、タイムよりもより順位を上げて欲しかったという想いが強いのです。何か、最近の傾向として、メダルを期待されている実力のある選手が獲れない結果になっても、「プレッシャーは全く無く、オリンピックを楽しみました。」 や、「精一杯やったので、悔いは無いし良かったです。」 などと、自画自賛が多く見られるようになったのがとても残念に感じます。オリンピックは、国を挙げて出場しているのです。もっと責任感を持って欲しいです。この傾向、一体いつ頃からでしょうか。。。私の記憶するところでは、アトランタ五輪のマラソンの有森裕子のコメント 「初めて、自分で自分を誉めたいと思います。」 この発言からのようです。この言葉が、確かその年の流行語にもなったように思いますが、『自分はよく頑張っている。』 『自分自身にご褒美を。』 などという発言がそれから続々と、公然と言われるようになってきました。元来、頑張ったかどうかは、周りの人間や、組織の中ではその上司が判断するもので、自分での評価は関係ありません。だんだんと日本人の中の美徳、「謙虚さ」 というのもそして失われていっている気がしてならないのです。その点、男女とも柔道、卓球の福原愛は違います。日本国民や周りが期待する重圧を感じながら、全身全霊ストイックに競技に向いているのです。その姿はとても美しく、惜しみないエールを送り続けたいです。
お盆になりました。今日は、ちょっとだけ怖い話を一つ。
その人は、60過ぎのバツイチで、さる会社の雇われ社長をしていました。4~5年前まで13年間付き合っていた彼女がいたのですが、もちろんその頃は家庭もあり、その彼女が原因で離婚。その後、晴れて彼女とゴールインかと思いきや、ズルズルと数年が過ぎ彼女の方が今度は愛想を尽かし別れることとなったのです。彼女にしてみたら、20代後半からの自分の一番良い時をその社長に捧げたのにも関わらず、彼が全く決断を下さなかったのに業を煮やした形となったのでした。私が出会ったのは、別れてから1年が過ぎた頃でした。「レナママ、足が痛くて。。。」 彼は原因不明の腰痛と足の痛みで、次第に歩くことが困難になってきたのでした。そして更に1年が過ぎ、ますます痛みが激しくなってきたみたいで、ついに手術をすることになりました。「手術したら、前よりは良くなるらしいけど。。。」 そう言ってはいたのですが、結局それからも大して経過は芳しくなく、足を引き摺りながらいつも歩いていました。「なんでこんなになったんかなぁ。。。」 たまにポツリとこぼすことがありました。私は、ここまで出かかっていたけれど、敢えて言いませんでした。彼は、かなり重い 「念」 を被っているのです。まず、長年連れ添った奥さんの念。そして、何より20代後半から13年間引っ張った彼女の深い念です。それが足に直撃しているのです。アドバイスをしてあげようか。。。と思っていたのですが、今は縁が切れてしまってもう会えていません。彼の誕生日には、それとなくパワーストーンをプレゼントしてみました。しばらくは付けていたようですが、2~3ヶ月もすると外していました。人の 「念」 ほど恐ろしいものはありません。しかし彼は、自分が何故そうなったのかが全く分かっていないようでした。彼女は最後の電話口でこう告げたのです。「私の、大切な時間を返して。。。」
競泳男子が800Mリレーで銅メダルを獲りました。やはりチームプレイでは力を発揮します。あと、他競技で言うと、出てきた瞬間に、『あ。。。オーラが弱い。。。パワーが落ちてるから負けるな。』 フェンシングの太田選手は見て直ぐそう思いました。案の定、一回戦で敗退。引退表明をしました。彼は、去年念願の世界選手権で金メダルを獲って、このリオでもメダルを有力視されていたようですが、残念です。そして、少し気になったのが女子体操団体。男子体操団体に続け。。。と健闘はしたのですが、結果は4位。それでも、何かメダルを獲ったような喜び様。「本当に良かったです♪」 とキャプテンの女子が答えていましたが、4位。。。もう少しガンバれば銅メダルなのに、悔しくはないのか??? 4位で満足しているようでは、この先も女子体操界は大して伸びないでしょう。女子競泳のさる選手は、世界ランキング1位にも関わらず、銅で終わったのですが、レース後のコメントで、「メダルが獲れて本当に良かったです。」 何か違います。やはり、体操の内村選手のようなストイックさ、柔道の金メダルを獲った選手の勝負に対する並々ならぬ執念とハングリーさが備わっていなければ、一番輝かしいメダルは獲れません。こういう精神、最近の世の中、皆んな少し忘れているようです。
今から4年前のロンドンオリンピックの時は、タロットで競技結果の予見を出して、このブログにも書き記していました。その頃は、私もタロットを復活させた時で、(最初に着手したのは小学校2年~5年までの3年間) いろいろな予見を出していき、的中率を上げていました。その当時は60%ぐらいでしょうか。しかし、今回のオリンピックはタロットで視ていません。予見を出すと、『どの部分がこのカードに該当するのか。。。』 などと随時、検証していかなければいけないので、純粋に競技を観賞出来ないのです。4年に一度のオリンピック、いつもとても楽しみにしています。世界陸上も大好きです♪(^ ^) 特に陸上の短距離、100M、200M は、ちょっと大げさに言えば 「血が沸き踊る」 ほど興奮します。あの全力疾走している姿が、何とも言えず、ただただ美しいです。それは自然界での動物的な美しさかもしれません。ライオンがシマウマを狩りで追いかけている姿をも連想させます。。。 今年は短距離男子日本勢もかなり強くなっています。楽しみです。。。(*^ ^)♪
リオオリンピックが始まりました。日本勢は、まず競泳の萩野選手が400M個人メドレーで金メダルを、そして体操の男子が団体で金メダル。。。となかなかのスタートと言えます。体操に関しては、総合で出場していた5名全て整った演技でしたが、とりわけ白井選手の技には目を奪われます。その空中で回転するフォームが群を抜いて美しく、もはや芸術の域と言えるでしょう。類稀れな才能を授かった選手で、今後が益々楽しみです。やはり、日本人はチームで構成された協力体制でこそ力を発揮するのです。萩野選手にしても、ライバル関係の瀬戸選手が居たからこその金メダルです。その後の、200M自由形では振るわず7着に終わっています。萩野選手の実力からいくと、銅メダル辺りは獲れていたとは思いますが、決勝では日本人は彼一人だったこと、そして過信もあったかのように思えます。そういう意味でも、日本男子競泳でのメドレーリレーでは、恐らく何かのメダルは獲れるのではないでしょうか。昨今、様々な場面で、「個人主義」 が叫ばれてはいますが、皆んなで一丸となって取り組んだ時、思わぬ爆発的なパワーを発揮する。。。それが日本人の特性なのです。
殺したいほど憎い。どうにかして仕返してやりたい。こういう気持ちを持ったこと、皆さん一度はあると思います。『どうして私がこんな目に!』 『信じていたのに裏切られた!』 人を陥れたり、欺いたりする人間はどこの世界にも居るものです。しかし、そこで怨んで何か行動を起こす必要はありません。何故なら、そういう人間には必ずしっぺ返しがあるからです。これは決して気安めで言っているのではありません。例えば、不倫などの略奪愛。これは、その時は欲望を満たし達成感に充ち溢れるかもしれませんが、他人のものを奪うと必ず自分も奪われます。時間差で同じ出来事を今度は自分が味わうことになるのです。他人の痛みが分かる人間は、最初からそんな愚行には走りません。痛みの分からない未熟な人間に、身を以って呈するのです。それが因果応報です。恋愛関係、仕事関係などでそういう思いをしている人、だから何の心配も要りませんよ。あなたの言動を、天は、地は、ちゃんと見ているのです。辛い感情から抜け出して、新たな世界へ一歩進めて下さいね。あなたは、そこで一つ今世のカリキュラムを果たし、グレードが上がるのですから。
タロットの予見の的中率は約80%、姓名判断は70%というのが私の持論です。特に、自分自身に対しては、タロットカードでは90%の確率で的中します。しかし、良い結果が出たときほど身を引き締めなければいけません。人間というのは、とかく良い報せがあると浮かれてしまうからです。せっかく吉運がやってこようとしているのに、そこで手を緩めてしまい、みすみす幸運を逃してしまうことがよくあるのです。普段なら、もっと努力していたけど、予見を知ってあぐらを掻いてしまう。。。こういう事象はよく起こります。未来が変わってしまうのです。逆に、かなりの警告的な強いカードが出た時。。。皆んなは、『あ~もうどうしよう~恐い~』 こう言って必要以上に萎縮します。けれども、そういう 「悪い」 カードが出たときはあらゆる可能性を探り、危機回避に努めるので結果として吉と出る方が多いのです。これは、大変興味深い傾向です。タロットカードは、正に、人生に於いての 「転ばぬ先の杖」 なのです。
「レナママ、体調が悪くて。。。今年の3月ぐらいから耳鳴りがして。」 こうお客さんから相談を受けました。30代半ばの男性なのですが、よくよく訊いてみると、食生活が結構乱れているようでした。「まず、3食キチンと摂らないと。脂っこいものばかり食べないで、もっと野菜を増やして。。。」 いろいろアドバイスをしました。耳鳴りというのは、一番の原因は精神的なもの。次ぎに、やはり規則正しい生活かどうか、ということです。彼は、複数の病院へ診察に行ったそうですが、結局、原因不明で終わったのでした。「なんか最近全然良いことが無くって。」 来店してきた瞬間からオーラも悪く、何か引きづったようなカンジでした。「毎日同んなじ繰り返しで、このまま何事も無く終わっていくのかなぁ。。。って。やる気も起きないし。。。」 「まず、周囲や環境に依存するんじゃなくて、自分で目標を見つけて動いていかないと。棚ボタのラッキーばかりを待っているような人生じゃダメよっ。」 少し 『喝』 を入れました。「ずっと耳鳴りも治らないし、このまま病気になるのかなぁ。。。って思って。」 例えば、病気になる。。。ということも大きな意味があるのです。特に大病の場合は、「気が付きなさい。」 という啓示なのです。今までのあなたの行い、やり方では 「いけませんよ。」 という示唆なのです。そこで考えて成長を促しているのです。生死を分けたような病になった人は、人生観が変わる、と言われますが、それがこのことを意味しているのです。ダラダラとだらけた生活や人生を送っている人間には、必ず審判が下されます。それに気が付くかどうか。。。そこで器が拡がるかどうかは、本人次第なのです。
夜の水商売の世界でも、名前はとても重要になってきます。その彼女はグリッターに来て、5年近くが経っていました。出身地は中国地方で、素朴で一生懸命なタイプの性格でした。最初に来た時に、例に漏れず姓名判断をしたのを憶えています。「う~ん。。。あのね、こういう水系統の漢字はあまり使わない方が良いのよ。」 彼女は、わざわざ源氏名にその字を使っていたのです。基本的に、雨、泉水、雪、流、泳、などの 「さんずいへん」 はよくありません。雲なども当てはまります。こういう漢字を使うと、正に 「運気が流れる」 のです。一時は盛隆の時期もあるでしょうが、その後流転してしまう運勢になってしまうのです。「あ、分かりました。別の漢字にします。」 それから1年近く経ったある日、ひょっこり来た彼女は、以前とは違うお店で働いていたのでした。「お店変わったんですよ。」 差し出した名刺には、前のままの源氏名だったのです。『やっぱり、せっかくあれだけ言って、別の漢字まで提案してあげたのに名前変えてないわ。。。』 まあ、その時、姓名判断をして神妙に聞いたとしても、往々にして変えないものです。その彼女は、それから年に1~2回ぐらいの頻度に遊びに来ていました。そして先日、久し振りにお客さんとアフターで来店しました。「元気にしてたぁ?うちのお店、12周年になるのよ~。」 そういうと、「そんなん知らんわっ!」 かなり酔っているようでした。「大丈夫ぅ?じゃあ、何飲みますか?」 するとそのお連れの男性の方が、「それじゃ、周年だから、ママの好きなものを3人で一緒に飲もうっ。」 そう言ってくれました。ステキな紳士です。「リーズナブルなシャンパンとかでも大丈夫ですか?」 「うん、良いよ。」 3人で乾杯をしました。そのお客さんは、やたらと私を誉めてくれました。「いや~ママは本当にキレイだなぁ~」 「誉めてもらって嬉しいです。ありがとうございますっ。」 「いやっ、ホントに綺麗な顔立ちだよ。」 すると、みるみる横の彼女の形相が変わってきたのです。『ん。。。まずいわ。。。』 彼女のピッチが上がります。30分経たないうちに1本シャンパンを飲み干しました。「じゃあ、帰るっ!」 そう言うと直ぐに立ち上がり、あっと言う間に帰っていきました。。。 2時間ほどして彼女からメールが。。。「今までお世話になりました。もうお店には行きませんっ!」 『はあ。。。?』 手元を見ると、彼女が置いて行った名刺があった。そこには苗字も新たに付け加えていたのですが。。。数えてみると最悪の画数に。『ああ。。。おかしな性格に変わってしまったわけね。。。』 彼女の仕事運はもう下降線の一途を辿ってしまうでしょう。しかし、それを忠告してあげるチャンスももう無く。。。
弱視でほとんど視力を失った。。。という人が、この間来店しました。その人は、元々は普通に視力があったのですが、ここ2~3年で一気に視力が低下する病気になってしまったようです。まだ視界がぼんやりと見えていた頃、歩行訓練をその協会の人の付き添いで行った時のことです。日も暮れ始めた時間帯で、この北新地を歩いていたそうですが、その時に、歩行訓練を指導しているその人はすごく驚いたそうです。「他のエリアだと、周りの人間も遠巻きに観察するだけだけど、ここの人たちは障害物があるとスッと除けてくれる。こんなことはいままで無い事だ。」 やはり北新地はお客さんのみならず、黒服やホステスもマナーを心得ています。他の町とは一線を画しています。北新地は紳士と淑女が集まるところです。そして、この町で働いていることを誇りに思うのです。
今日から12周年ですっ♪ 周年と言えば、長い間来店してない人がひょっこり現れたり、普段来ない意外な人が来てくれたりします。今年はどんな人が来てくれるのか。。。楽しみにしています。。。♪ そして、いつも思うのが、周年の大切さが分かってくれる人が少し限られている。。。ということです。北新地に飲みに来ている人の中にも、「周年って、忙しそうやから、オレはその辺りは外していくねん。」 などと言っている人がチラホラ居るのです。特にお昼の勤めの人は、その重要さをあまり認識していない人が多いようで、それは致し方ない部分もあるのですが、「周年」 というのは云わば、自分の可愛い子供の誕生日と同じものです。自分の誕生日にお祝いしてくれると嬉しいものですが、自分の子供の時は、それにも増して感激するものです。そういう感覚を持ってもらえたら。。。と思います。この期間に来てくれるから意味があるのです。もう~、わざわざ避けて来ないでね~(^o^;)
さて、いよいよ来週はグリッター12周年になりますっ♪(@^o^@)/ 8月1日(月)~8月6日(土)までの6日間、周年期間として、来店してくれたお客さん先着20名様にステキなお土産も用意してます。。。っ♪(#^ ^)ノ お友達や会社の上司、同僚の人と皆んなで気軽に寄って下さいねっ♪ 私も周年なんで、きちんとドレスアップをしてお迎えしますっ♪ あっ、もちろん空いてる時間で占いも行いますので、皆さん、お待ちしてますね~♪(*^ ^*)
相模原で凄惨な事件が起きてしまいました。障害者施設を襲った大量殺人事件です。この犯人の植松容疑者、もちろん思想もおかしく、話にならないぐらいの自己中心的人物に間違いないのですが、驚くことに、かなりの吉祥名になっているのです。考え方を改めたら、立身出世は間違いなしの大吉数の名前なのです。ほとんどの場合、こういった事件を起こす人物の名前は、劣悪な画数が多いので、今回は相当稀なケースと云えるでしょう。名前が支配する運勢のパーセンテージは、70%と云われているので、残りの30%の部分でこういう事件を引き起こした。。。とも言えますが、とりわけ注目したいのは彼が一人息子だったことです。親は教員をし、かなり可愛がられて育てられたようで、今回の事件の背景にはそういった幼少期からの教育にかなりの問題があったのではないでしょうか。まず、一人っ子で甘やかされて育てられると、社会性が欠落しやすいので、云わゆる 「場の空気が読めない」 浮いた存在になるのです。それと、やはり彼には、厳しい言葉で忠告をしてくれる本当の友人が居なかった。。。ということも不運の一つでしょう。そして、もう一つこの事件で感じたことは、報道の少なさです。「戦後最悪の凶悪殺人事件」 としながらも、その事の重大さの割には、あまりにもメディアの取り上げる時間が短か過ぎるのです。これが普通の健常者が被害者であるならば、もっと大騒ぎしていたでしょう。一人一人、皆んなの心の奥底に、『大変な事件が起こったな。。。でも殺されたほとんどが重度障害者か。。。』 と、少し軽い感覚で視ているのではないでしょうか。深層心理に潜む差別意識が、そこに見え隠れしているのです。「話しかけても、何の反応もない。意思表示も出来ない。だから、何の感覚も持ち合わせていない 『生き物』 でしかない。」 それは大きな間違いです。動物はもちろん、植物であっても、そこに 「心」 のようなものは確かに存在するのです。ましてや、人間です。彼らは、話が上手く出来ない、意思を伝えることが出来ない、それだけに 「心」 が、 「想い」 が、健常者よりも遥かに強くそこに存在するのです。亡くなられた19名の方達のご冥福をお祈りします。
都知事選が過熱しています。各メディアがこぞって報道しているので、私達関西人にとっては直接関係のないことではあるのですが、興味はそそられます。そこで、姓名学的にいくと誰れが適任か。。。?少し書いてみたいと思います。まず、増田寛也氏、この人は東京大学出身、岩手県知事も3期12年間務め、その後東京電力社外取締役を経て今回の立候補。輝かしい経歴ではありますが、この人の持っているオーラ自体がトップを担うものではありません。それが姓名にも表れていて、彼の名前は 「セカンド」 に適している画数なのです。トップに立つと決断力が無いので、「コケる」 と云われている名前です。この人は都知事には、はっきり言って向きません。荷が重過ぎるでしょう。どう見てもお役所で働く偉いさん。。。というカンジです。次ぎに小池百合子氏。この人知性もあり、剛毅なものを持っているのですが、アナウンサー上がりということで知名度はありますが、今までに大した功績を残していないのが気になります。少しハッタリの強いタイプと言えそうです。姓名学では、「口が悪く、他人を見下す嫌いがあり、それが原因で足を引っ張られる。」 というもので、鳥越氏の病気のことを演説で出してきて批判を浴びたのは、記憶に新しいですよね。そして、最後は鳥越氏、彼は抜群の知名度、そして強いリーダーシップを発揮できる名前で、都知事には一番相応しい画数になっているのですが、小池氏に 「病人扱い」 された時に、かなり感情的にムキになってしまったのが残念です。豪快に笑い飛ばしていたら、もっとイメージアップに繋がっていたでしょう。結論から行くと、今回はどんぐりの背比べではありますが、敢えて選ぶのなら鳥越氏。個人的に小池氏は 「高慢ちき」 さがプンプン臭ってくるのでどうも好感を持てません。タロットでは今回は出していないので、あくまで姓名学上の見解ですが、今度の日曜どういう結論になるのか、興味津々です。
50歳の兵庫県の警察官が、酒に酔って23歳の息子に包丁を突きつけた。。。という事件がありました。これを通報したのが、なんとその奥さん。とても驚きました。恐らく常日頃から、この警察官の旦那は酒癖も良くなかったのだとは思いますが、それにしても、自分の主人を通報する。。。というこの行為、理解に苦しみます。結局のところ、身内を犯罪者にしてしまうわけで、とても冷静な判断とは言いかねます。23歳の息子が定職に就かないことに、憤慨してやってしまった行為のようで、やや行き過ぎた感はあるものの、これも至極当たり前の考えです。23歳で定職に就かず実家にいるような、ぐうたら息子に喝を入れるのは当然のことです。それを母親が庇う。。。おかしな構図です。しかし、こういった親子関係、兄弟などの諍いに安直に警察を呼ぶ。。。残念ながら、昨今、巷では当然のことのように行われています。何度も言いますが、果たして身内を犯罪人にしてしまっていいのか?もう少し自分達でマネジメントして解決するなり、思慮深く、云わゆる 「人間力」 なるものを発揮してほしいものです。まあ、子供は甘やかして育ててはロクな結果にはならないものですし。
少し前のことですが、寿タクシーが裁判で国と争い、勝訴しました。今現在、タクシーのほとんどが660円か、680円ですが、寿タクシーは510円で走っています。嘗て、小泉政権の時に、規制緩和でタクシー運賃が過当競争になり、次々と格安タクシーが出現したのがウソのようです。私達、乗客にとっては、値段の上でも安い方が嬉しいですが、「サービス」 という点でも自由競争になってくれた方が良いのです。カンキョウタクシー、ダイキョウ、などは、やはり北新地の間では、「態度が悪いから乗らない方がいいわよ。」 と皆んなが暗黙の了解という状況です。こういうタクシー会社の対応を変えさせる為にも、以前のように、価格競争、サービス合戦を展開させるべきなのです。寿タクシーに倣って、どんどんと安価のタクシー会社が出てくることを私達は願っています。